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水戸地方裁判所 昭和24年(行)21号 判決

原告 植竹政雄

被告 真壁町農業委員会

一、主  文

真壁町農地委員会が別紙目録記載の土地建物につき昭和二十三年十一月十七日樹立した買収計画を取消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

二、事  実

原告訴訟代理人は主文同旨の判決を求め、その請求原因として、

(一)  別紙目録記載の土地建物(以下本件土地建物と略称する)はもと原告の父植竹峯吉の所有であつたが、峯吉はこれを訴外大森保二に譲渡し、原告の兄圭一郎は同人よりその所有権の譲渡を受け、大正十一年頃右土地建物(建物のうち六畳及び納戸四畳の二室を除く)を訴外宮本庄之助に賃貸し、昭和二十一年中同訴外人との間に賃貸借期間を昭和二十三年十二月末日までと定めたのである。そして原告は昭和二十二年八月六日圭一郎より本件土地建物を買受け(同月七日所有権移転登記手続を経由)賃貸人の地位を承継したものである。ところが真壁町農地委員会は訴外宮本の申請に基き本件土地建物の全部につき、昭和二十三年十一月十七日自作農創設特別措置法第十五条第一項第二号により原告を相手方とする買収計画を樹てた。そこで原告はこれに対し、同月二十六日異議申立をしたところ、同委員会は同月二十九日「訴願」成立たぬとの決定をし、その旨の通知書を送つて来たので、原告は更に同年十二月十七日茨城県農地委員会に訴願を提起したが、昭和二十四年二月五日同委員会は棄却の裁決をなし、同年七月頃(本訴提起後)原告は右裁決書の謄本の送達を受けた。

(二)  しかし右買収計画には次のような違法な点がある。即ち

(イ)  訴外宮本庄之助は本件土地建物のうち住家の一部である六畳と四畳の二室については前掲法条所定のいかなる権利をも有していない。しかも右二室はその他の部分と分割することは出来ないのであるから、結局右住家の全部に対する買収計画は不当である。

(ロ)  訴外宮本庄之助が右二室を除く建物及び土地について前記買収計画樹立当時賃借権を有していたことは前記の通りであるけれども、右賃貸借契約は後に述べるように昭和二十三年十二月末日をもつて期間満了によつて終了したのである。即ち原告は前記のように圭一郎の賃貸人たる地位を承継したのであるが、右賃貸借期間満了前所要の期間をおいて昭和二十三年二月二日附内容証明郵便をもつて更新拒絶の意思表示をしたから、右賃貸借期間は昭和二十三年十二月末日の経過とともに満了したわけである。仮りに前記六畳と四畳の二室が同時に賃貸借の目的となつていたとしても、やはり期間の満了によつて終了していた筈である。

ところで原告は戦災を受けて他に居住すべき家屋をもたず、現に買収計画樹立当時前記二室に原告の家族十名が居住していたのであるが、前記のようにして他の部分についても賃貸借契約が終了すれば、その部分も使用する意思をもつていたのであつて、かつその使用は相当と認めらるべきものである。従つて本件建物は前同法第十五条第二項第二号の趣旨に照らし買収計画の目的物とすることは不当である。

(ハ)  本件買収の目的物である住家のうちその一部は水車小屋となつて居り、その水車小屋は農業用施設と認められず、又これは他の部分と分割し得ない状況にあるから、自作農創設特別措置法第十五条第二項第三号の趣旨に照らし、これを買収の目的物とすることは不当である。

よつて以上いずれの点よりするも右住家を買収計画の対象とすることは不当であり、従つてまたその附属建物の敷地及び附属宅地の買収は不当である。

(ニ)  なお本件土地のうち字山口八五一番の一宅地は買収計画当時の現況田であり、同字八四九番の二宅地は現況畑であるからこれらを宅地として買収することは違法である。

よつて右買収計画の取消を求めるため本訴請求に及んだ次第である。と述べ、被告の主張に対して本件家屋の賃貸借契約につき更新拒絶の意思表示をなす当時原告は(二)の(ロ)に記載したような状態にあつたのであるから、更新拒絶につき正当な事由があるものであると述べ、その余の被告主張事実を否認した。(証拠省略)

被告訴訟代理人は請求棄却の判決を求め、原告主張の請求原因事実に対して、(一)の事実中、植竹圭一郎と宮本庄之助との間の賃貸借契約の目的物中央に六畳と四畳の二室が含まれないこと及び昭和二十一年中賃貸借期間について同人等の間にこれを昭和二十三年十二月末日までとする旨の約定のあつた点は否認する。その余は全部認める。(二)の(イ)の事実についてはこれを否認する。宮本庄之助は右建物の全部を賃借していたものである。(二)の(ロ)の事実については賃貸期間については約定のなかつたこと前記の通りであるけれども、更新拒絶の意思表示のあつたことは認める。しかし仮に原告主張の通り期間の定めがなされたとしても更新拒絶をなすにつき正当の事由がないから無効である。何となれば原告は当時東京都深川区高橋町四丁目五番地に木造亜鉛板葺住家一棟建坪十六坪七合五勺及び肩書地に木造木羽葺店舗兼住宅一棟建坪十五坪を所有し、前者に居住していたものであつて、原告の方で本件家屋を使用すべき必要は少しもなかつたからである。そして又原告は近く本件土地に帰つて居住する意思を有していなかつたものである。原告の家族が右建物に居住するに至つた事情は、即ち昭和二十年六月東京都より真壁郡樺穂村に疎開して居つた原告の父峯吉が、空襲中のみとの条件にて右建物のうち奥六畳の間に一時移転し、昭和二十一年十二月下旬再び右樺穂村に戻り、昭和二十五年一月同所で死亡したもので、同人の妻植竹くには昭和二十二年四月中旬頃奥六畳及び四畳の二室を明け渡せと要求して来たが、宮本はこれを拒絶したのである。それにも拘らず原告は同年五月中旬母くにとゝもに荷物を無理に搬入し、その後原告等の家族を強いて入居せしめた次第である。(二)の(ニ)については原告主張の土地が本件買収計画樹立当時原告主張のような農地であつたことは認めるが、宅地として買収する方が農地として買収するより対価が高いので特に原告のために原告主張の通り買収計画を樹てたのであるから違法ではない。と答弁した。(証拠省略)

三、理  由

本件土地建物はもと原告の父峯吉の所有であつて、峯吉より大森保二に所有権が譲渡せられ、保二はこれを植竹圭一郎に譲渡し、圭一郎は大正十一年頃右土地建物(六畳と四畳の二室を含むか否かについては争いあり)を訴外宮本庄之助に賃貸し、その後昭和二十二年八月六日原告は圭一郎より本件土地建物を買受け、賃貸人たる地位を承継したこと、真壁町農地委員会が訴外宮本庄之助の申請に基き昭和二十三年十一月十七日右土地建物の全部につき、自作農創設特別措置法第十五条第一項第二号を適用し、原告を相手方とする買収計画を樹てたこと、そして右計画に対し原告主張のような異議訴願の手続が執られ、これに対し原告主張のような処分がそれぞれなされたことは当事者間に争いがない。そこで右買収計画につき原告が違法であると主張する諸点について順次判断する。

(二)の(イ)について

原告は本件買収計画の目的物である建物のうち住家の一部である六畳と四畳(納戸)の二間については訴外宮本庄之助は本件買収計画樹立当時自作農創設特別措置法第十五条掲記の如何なる権利をも有していなかつたと主張し、被告は右住家の他の部分とともに右宮本において賃借権を有していたものであると反駁する。ところで右二室を除く右建物については買収計画樹立当時同訴外人が賃借権を有していたことは前記のとおり当事者間に争いないところである。すると他に特別の事情がない限り右二室も又右賃借権の目的物となつていたものと推定し得るわけであるが、この点について原告は右建物は原告の前所有者である植竹圭一郎がはじめ宮本庄之助に賃貸した際、右二室を特に除外したものであると主張し、原告本人はこれに副う供述をしているけれどもたやすくこれを信用するわけにはいかない。尤も証人大森竹三郎、植竹圭一郎の証言の一部によると昭和二十一年一月十日頃大森竹三郎は植竹圭一郎より依頼されて宮本庄之助と交渉し、前記賃貸借の契約条項を変更することについて話し合つたが、その後同月二十日頃契約内容を記載した証書二通を作成し、宮本庄之助の捺印を得るため同人方に持参した(但しその際庄之助が右証書に捺印したとの証言は、証人宮本まつの証言に照らして信用できない)ことそしてその証書には賃料を一ケ年二百五十円とし特に六畳と四畳の前記二室を除外し、又賃貸借期間を昭和二十三年十二月末日までとする旨の記載があり、しかも当時圭一郎の父峯吉が右二室を占有し使用していたことが認められるけれども、証人宮本まつの証言によれば庄之助と竹三郎との右協議の際には賃料の点については約定ができたがその他の点について庄之助は同意していなかつたので、結局庄之助は右証書には捺印しなかつたこと、又植竹峯吉は昭和十九年中東京より大森竹三郎方に疎開して来たが、その後昭和二十年六月頃庄之助方に来つて体が悪いからせめて空襲中だけでも同居さしてくれと申出たので空襲中だけなら世話しようという事で同人に対し前記二室の使用を許したのに過ぎず、そして空襲のおそれのなくなつた後も、同人は引続き居住していたが、そのうち同人が東京に引返すだろうという考えからしいて明渡しを求めないでいたに過ぎないという事実を窺うことが出来るから、前記竹三郎の証言によつて認定せられる事実は原告の主張を維持できる証拠とするには充分ではない。又原告本人の供述によると原告の家族等が昭和二十二年中、当時の住居たる真壁町古城の増淵一郎方より立退を要求されていたこと、そして同年暮から居住していることが認められるのであるが、証人宮本まつの証言によると、右入居の際も宮本まつが拒否したに拘らず、敢て引越すに至つたもので宮本庄之助方において右二室について賃借権なきことを認めていたものでないことがうかゞわれるので、右原告本人の供述も又二室につき宮本庄之助に賃借権なかりしことの証左とするには足らない、そして原告は他に特別の事情につき主張立証するところがないから、本件買収計画樹立当時右二室も又他の部分とともに賃借権の目的物となつていたものと認定しなければならない。

よつてこの点について本件買収計画を違法とする理由はない。

(二)の(ロ)について

原告は前記賃貸借契約は本件買収計画樹立当時より間もない昭和二十三年十二月末日には終了することになつていたし、その後は本件家屋全部を原告の方で使用するを相当と認むべき事情があつたので、本件家屋の買収計画は違法であると主張するけれども、右のように賃貸借契約につき期間の定めがなされたことについては、この点に関する証人大森竹三郎、植竹圭一郎の各証言、原告本人尋問の結果(第一回)は右約定をなす際における事情に関し、(二)の(イ)において認定した事実に徴し容易に信用できないし、他に原告の主張する右事実を認定する証拠はない。しかしながら賃貸借の期間が満了していなくても、原告の方で本件家屋について買収計画当時現にその全部又は他の部分と分割し得ない一部を使用すべき必要があり、或は近くこれを使用するを相当とする事情があつたというような事実が認められるとすれば、これを買収することは不相当であるといわねばならない。(自作農創設特別措置法第十五条第二項第二号は本件買収計画樹立以後における改正規定ではあるけれども、その改正前においても、宅地建物等の買収をするのはこれを相当とする場合にかぎる旨規定されていたのであるから、右第十五条第二項において宅地又は建物の買収をしない場合を列挙したのは買収を不相当とすべき場合のうち、いわば典型的なものを例示的に列挙したに過ぎないものと解すべきである。だから右第二項各号に該るような場合は同法条の改正前にあつても買収を相当としない場合であつたものとして、かゝる場合に該当する事情があるのにかゝわらず、買収計画を定めたものはこれを違法としなければならないであろう)尤も右にいわゆる使用の必要乃至使用を相当と認むべき事情ということについては単に所有者の側における事情のみを考えて決すべきではなく借主の側における事情をも参酌して決すべきものと解するのが相当であり、たゞ右の使用の必要性ということが居住のためのものである場合においても、借主即ち買収請求者の側については常に農業経営と関連させて考えなければならないことはいうまでもない。今本件についてこれを考えてみるに、成立に争いない甲第七号証に証人植竹圭一郎の証言、原告本人の供述(第一、二、三回)(いずれも前記措信しない部分を除く)を綜合すると、原告の家族は原告夫婦のほか長女喜美子を頭に七人の子供があつたが、昭和十九年夏の初頃東京都で罹災したため疎開し、茨城県真壁郡樺穂村桜井にある大森竹三郎(原告の姉婿)方に一週間程厄介になつた後、同郡真壁町古城にある増淵一郎方に引越し、八畳と四畳半の二間を借り受け家族等を居住せしめておいた。ところが増淵一郎方では同人の母を世話する人を入居せしめる関係上立退を要求していたので前に認定した通りやむなく昭和二十二年暮(宮本庄之助方では不服であつたけれども結局)家族等を本件住家の前記六畳と四畳の二室に居住せしめるに至つたこと、一方原告自身は昭和二十年九月頃から東京都中央区日本橋小網町二丁目四番地の田口某方の六畳一室に、勤務先(当時は日本橋運送株式会社)の同僚阿部藤吉と二人で住んでいたが、右家屋の所有者の都合によりそこを立退かねばならなくなつたので、昭和二十一年九月頃右会社の寮になつていた中央区日本橋本町二丁目四番地の川緑平作方に移り、そこの二階六畳の一室に前記阿部藤吉と二人で住んでいたこと、その後原告は右会社をやめることになつたので、昭和二十四年六月末に右の寮を出て、次の勤務先小網商店の宿直室に移り、昭和二十五年四月頃現在の住所である江東区深川森下町二丁目二十六番地井上マス方に移り、そこの四畳半一室を借り受け、長女きみを引き取り二人で自炊生活をして現在に至つていること、又原告の収入は今では手取り一ケ月一万七千円位になるが、本件買収計画の樹てられた昭和二十三年十一月頃は一万一千円位であつたこと、そして本件家屋を除いては他に所有家屋は全然ないという状況であること(尤も昭和二十二年初頃に実兄植竹圭一郎から同人所有の深川区高橋町五丁目所在の家屋一棟を譲つてもよいとの話があつたけれども、原告としては当時の食糧事情を考え本件家屋の方を譲り受けたもので、被告主張のような家屋を原告が所有していたというような事実はない)が認められ、一方証人宮本清吉同まつの証言によると宮本庄之助の亡後(庄之助は本件買収計画樹立の少し前である昭和二十三年十月十日死亡している)は同人方では母子四人で田畑併せて六反五畝を耕して本件住家に居住していることが認められ、又検証の結果によると本件住家は八畳、六畳、四畳半三室と四畳の納戸があることが認められる。そして終戦後わが国における住宅事情が一般に極めて窮屈な事情にあり、殊に大都市においては住宅の払底は一時言語に絶するものがあり、次第に好転に向いつつあるとはいえ、衣食の面に比較すればまだまだ問題にならぬような状況にあることは世間周知のことであつて、このことを考慮に入れて以上認定の事実について考えるならば、本件買収計画の樹立せられた昭和二十三年十一月当時において、原告がその家族八人を自己の勤務地であり、居住地である東京都によびよせるというようなことはとうてい不可能の状態にあつたものと認める外はなく、現在においてすら、それは極めて困難であるといわねばならぬであろう。しかも原告において、本件家屋を外にして全然所有家屋もないとすれば、原告としてその家族を路頭に迷わしめないためには、これを本件家屋に居住せしめるのが唯一の途であるということになる。一方宮本方においても、本件家屋を使用することが単に居住のためというのではなく、同時に農業経営上必要であるという事情にもあることは前記認定事実及び検証の結果によつてこれを認めなければならないのであるが、原告側の事情が前記の通りであつてみれば、結局原告の家族と本件家屋を一部分づつ分ち使用する外に双方の居住の必要性を調整する途はあるまい。原告の解約に基く明渡訴訟でない本件においては、双方の使用すべき部分を定めることは審判の目的にはならないけれども、原告側と宮本側との家族数を比較し、原告の父峯吉が本件家屋中六畳の間と四畳の間(納戸)を従前使用してきた事情を参酌すれば、少くとも右二室については原告がその家族を住わせるため使用するのが相当であると認むべき事情にあつたし、今なおその事情に変りはないものというべきであろう。尤も証人稲葉一郎の証言並びに成立に争いない乙第七号証の一によると原告は本件買収計画樹立当時この件に関して真壁町農地委員会が審議した際その席上において「自分としても真壁町には三年とおりたくはない、東京に住所さえあれば明日にでも東京に転住したいと思つている。」旨を述べたことがうかゞわれるけれども、このことからして買収計画樹立当時において、原告が本件家屋の少くとも一部を使用することを相当と認むべき事情がなかつたものというわけにはいかない。してみれば、右住家のうち、少くとも前記二室は原告において使用することが必要であり、かつ相当と認めるべきものであり、又検証の結果によると右二室はこれを他の部分と分割することは出来ないことは明らかなのであるから、結局右住家全体についてこれを買収計画の目的物とすることは不当であると言わねばならぬ。従つて、その敷地である八五〇番宅地六拾六坪四合についてもこれを一体として自作農創設特別措置法第十五条の規定を適用して買収することは不当であると言わねばならない。次に八五一番の一宅地一一八坪五合と八四九番の二宅地三十九坪五合一勺が本件買収計画樹立当時既に現況農地となつていたことは当事者間に争がないのであるから、本件買収計画中右両土地につきこれを現況宅地として樹立した部分は、その失当たること明らかである。被告は、宅地として買収計画を樹立した方が対価が高くなり、原告のため有利なので、宅地として買収計画を立てたというけれども、宅地としての買収計画と農地としてのそれとの間にはその要件及び効果について大きな差異があるのであつて、右のような理由は前記買収計画を正当化するものではない。

以上のような次第であるから、本件買収計画は全部違法であつて、その取消を求める原告の本訴請求は理由があるのでこれを認容することゝし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用し、主文の通り判決する。

(裁判官 多田貞治 綿引末男 石崎政男)

(目録省略)

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